「仕事はできるがコミュ力がないせいで評価されない」と思ってしまう理由
もうタイトルの通りなのですが、私が「仕事はできるがコミュ力がないせいで評価されない」と思ってしまう理由について。
できるっちゃあできるよ
できることとできないことに差があるのは、発達障害の特徴だそうです。
しかし私は親や兄弟から器用貧乏だと言われていたくらいで、就職するまで自分がそこまで能力に大きな差がある方だとは認識できていませんでした。
WAISテストの結果を見ると、確かに作動記憶がドーンと低いのは明らかなんですけど、自分なりに死ぬほどメモを取りまくるとか、忘れないようにアラート機能を使いまくるとかして、どうにか誤魔化し誤魔化しきてしまったんです。
(まぁ、今思えばうちの親は私よりも発達障害の傾向が強そうなのでアテにはならないし、問題視されなかったのは環境が恵まれていたのと、単に私が地味で目立たないタイプだったからというのも大きいと思います)。
すごく図々しいことを承知で言うと、実際に仕事をしてきた中で「これは人よりもできてるんじゃないか」と思ってしまったこともあります。
とはいえ、決して飛びぬけてできるタイプではない。
つまり自分が認識している「できている」は一般的に見れば平均くらい、よくても平均よりちょっとマシ程度なんです。
しかし私はコミュニケーション能力が低く、また見るからにダメそうな雰囲気から、どこに行っても第一印象で「仕事できない人認定」されることが多く(まぁ、実際にダメなんですけど)もはや劣等感の塊。
だからちょっとでも「できること」があると、自分の中でひたすらそこをフューチャーして「ほら私はできてるじゃん! 多少社会人として問題はあってもこの部分は優秀じゃん!」みたいな思考に陥りがちなんです。
後から冷静に考えれば人並みなだけ(もしくは自分比でできているだけ)だと分かるのに、渦中にいると、どうしても目が曇る。
報連相はつきまとう
あと少し前まで、報連相が上手な人=世渡り上手でコミュ力が高い人と考えていたのも原因の一つです。
なんか業務内容(たとえば仕事の速さとか正確さ)で勝負していない感じがして、心のどこかでずるいと思っていたんですよね。
コミュ力高い人はいいですね~みたいな卑屈な考えがあった。
以前、どうでもいい些細なこと(あくまで私から見て)まで上司に相談する人がいて、しかも何故か評価されていて、そのたびに私は「そんなことを相談するのってアリなの?」「甘えてるだけじゃん」などと考えていました。
でも職場によっては些細なことでも共有するのが大事だったりする。
上司からしたら把握しておく責任もあるでしょうし、起こりえる問題を想定して備えることもできる。
そもそも業務の優先度すら分からない空気の読めない私が、自分の尺度で情報を取捨選択して報告しようとする時点で、上司にとっては「厄介な社員」なわけで…(そら評価もされんわ)。
また仮に、本当にそれがどうでもいいような相談だったとしても、そこで邪険にされないような言い回しとか、タイミングを考えられている時点で、それはもう能力が高いですよ。
根回しってなんか悪いように取られがちですが、仕事ができる人ほど根回しが超上手だと感じます。
真実を受け止める
色々な職場を転々としているのに、私は上司の求める報連相ができたためしがありません。
だからこそ、余計にその部分において劣等感を募らせていて「仕事はできるのに評価されないのは、上司に好かれるようなコミュ力がないからだ」という考えに陥り、自分を守ろうとするんだと思います。
さらに「コミュニケーション能力が低くても、それを覆すくらい能力が高い」というパターンに憧れがあるのも良くない(中二病かよ)。
そんな人は滅多にいないし、仮にそんな人がいたとしても、よっぽどじゃないと一緒に働きたいとは思わないですよね。上司の立場だったら特に。
「自分ができていると思っていたことはせいぜい平均程度。職場で評価されないのはコミュ力が低いからとかダメそうな雰囲気だからという理由以上に、単純に能力が低いから」
この事実を冷静に受け取めて、周りに迷惑をかけぬようにするしかないと、今はちゃんとわかっています。
悲しい。