発達障害の地味女

30オーバーで発達障害(ADHD、ASD)と診断された地味女の地味なブログ。

子供のころの話

子供のころ、私は異様に大人しかったです。

そもそも話せるようになるのも遅かったそうですが、普通に話せるようになってからもとにかく外では声を発せず、首を横か縦に振るくらいしか反応を示さない子供でした。

幼稚園でもじっとしている

慣れない場所に行くと、身動きが取れずにじっとしてしまうことが多かったです。

幼稚園で覚えているのは人気のない場所で何時間もじっとしていたこと。

よく「お人形みたい」と言われましたが、残念ながらそれはお人形みたいに可愛いという意味ではなく、動かなくて不気味という意味でした。

でも徐々に慣れてからは友達とも遊べるようになりました(良かった)。

小学生のころはいじめられる

小学生の頃は当たり前のようにいじめられました。とにかく友達付き合いが下手くそだった。

でも高学年になったあたりから、自分が「ダメな奴」で意地悪な人から目を付けられやすいのだという認識が生まれて(これが後々、面倒な被害妄想へと発展していくのですが…)、どうにか改善しなければと少しずつ運動などを頑張るようになりました。

中学生になったら部活三昧

私の人生が狂った一番の原因は中学校で厳しい部活に入ってしまったからだと思っています。

中学の部活はとにかく厳しくて、正月休み以外は全て部活動に充てなければいけませんでした。

6時半くらいに学校に行って、そこから朝練をしてから普通に授業を受け、また放課後に練習をする。学校の部活動は夕方6時までと決まっているから、一回家に帰って、また町の運動場や体育館に行って、そこで9時すぎまで練習。

土日は当たり前のように朝から日が落ちるまでずっと練習です。

それを正月とお盆休み以外、ほぼ毎日。

中学時代の部活のことは断片的にしか記憶になく、今は何かの拍子にパッと思い出す感じです。

思い出すのは、顧問の先生に怒られてビクビクしながら生活していたこと。

いくら私が空気を読めないタイプだといっても、「スクールカースト」なんていう言葉がないうちから、学校でも部活でも階級が決まっていることくらい知っていました。

顧問の先生の「お気に入り」になればいいけれど、そうでないならもう地獄です。

大声で怒鳴られたり、事あるごとに「どけ、邪魔だ」「目ざわり」などと言われたり、意味も分からず走らされたり。

それ以外にも試合での失敗を必要以上にネタにされたり、掛け声がおかしいとわざと面白おかしく真似をされたり。

一度、ある雑誌で私のミスについて言及されていたことがありました。

確か「××中のポジション△△のボールが大きく外れ、、」みたいな文章だったのですが、顧問は部員の前でその部分だけを大きな声で読み上げたんです。

他の部員のミスについてもその雑誌では言及されていたのに、何故か私の部分だけを殊更に強調して。

 みんな馬鹿にしたように笑っていて、

私みたいな、劣っている雰囲気がある奴を晒しものにすることで、顧問は「お気に入り」のカースト上位の生徒を味方につけているんだと思いました(もうこの言い草が被害妄想っぽいのか…)。

おかしいやり方

結局、私は登校拒否を起こして学校に行けなくなったのですが、顧問が家にまで押しかけてきて(そして親は拒否する私を無視して顧問を家に招き入れ)、無理やり学校に連れ戻されました。

部活のことを言うと親は「お前は気にしすぎる。いつまで根に持っているんだ」の一点張りなので、もう親に話すことはないのですが、あのやり方は絶対におかしかったと今でも心の奥で思っています。

 

なんかひどい文章ですね。

中学時代のことはこれからも鬱々と書いていくと思います。

大人になってもなくなることはなく、むしろ年をとればとるほど、鬱屈した思いが大きくなり、何かの拍子に爆発してしまいそうになるからです。

 

 

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